富谷(もしかしたら)知り合いかも?図鑑【齋藤知幸さん】

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齋藤知幸(さいとうちゆき)さん

富谷塾運営者、起業希望者のハンズオン支援担当、ローカル富谷の編集長、TOMI+の給食当番…そして「富谷もしかしたら知り合いかも図鑑」の執行人でもある知幸さんの、業種や肩書きでは括れない頭の中を覗いてみました。

「富谷のこれから」の仕掛け人

富谷塾生同士、富谷市民と行政職員のつなぎ役を担っている知幸さんが富谷にやってきたのは、2018年10月のこと。

一人息子のタオくんを連れ、富谷市まちづくり産業交流プラザ「TOMI+」のコミュニティコンシェルジュとして移住すると、1か月後には十宮夜市を開催し、その後もブンブンアースデイトミヤや妄想ミーティングなど次々と新しいイベントを立ち上げます。

第3回目の「十宮夜市」は600人もの来客があり、大盛況でした。

そこには「誰もがありのままでわくわくしながら生きていけるように」という願い通り、参加した誰もが楽しみながら新しいことに挑戦できる仕掛けが散りばめられています。

「小さなプロジェクトが実になり、新しい出会いの場にできれば」という想いは富谷内だけに限ったことではなく、「知幸さんがいたから富谷を拠点にしました」と言う移住者もいるほど、このまちと外の世界のつながり創りの波が広がっています。

「そこにいるだけで楽しい」イタリアで学んだ豊かな暮らし

「0⇨1をつくる」が得意な知幸さんは、元々インテリアデザイナー。

三越のディスプレイや倉庫リノベーション、渋谷ヒカリエのオープンなどを手掛けていましたが、東京のオフィスデザインの会社員時代には仕事で3日家に帰れない日もあるほど忙しく、過労で体調を崩したため10か月で退職。

そんな中、有機野菜を配達し農薬使用量を減らすことでサステナブルな暮らしを目指す「大地を守る会」というカフェと出会ったことをきっかけに、自分でも「食で社会を変えたい」と料理の世界に足を踏み入れました。

素材の味を生かすシンプルな調理法のイタリアの料理に出会うと、本格的に修行を積むため、3年間で400万円を貯めイタリアに渡航。

レストランで働きながら、おいしいものと明るくあたたかい人に囲まれ日々を過ごします。

中でも印象的だったのは、出勤途中に工事のおじちゃんから訛ったイタリア語で話しかけられたり、コーヒーを飲みに行った先で隣の人とすぐに会話が始まったりすること。

人と人との距離の近さは、なるべく近くで採れたものを食べるというイタリアの考え方「km0(キロメートルゼロ)」に通ずるところがありそうです。

日常のいたるところにコミュニケーションが潜んでいるイタリアでの暮らしは、まさに「生活しているだけで幸せ」だったといいます。

イタリア修行時代。生パスタを打つのは女性の仕事でした。

「誰かの役に立ちたい、助けたい」理想とまちづくりの現実の狭間で

居心地の良いイタリアでの暮らしを続けようとしていたある日、妊娠が発覚。

自然分娩したいという強い希望により帰国しました。

実はこの時、4か月の婚姻期間を経て、シングルマザーとして子どもを育てることを決意。

地元新潟から離れた場所で頼れる人も少ない中での出産でした。

ボロボロの状態を支えてもらった助産師さんに「こんなに良くしてもらい、どうやってお返ししたらいいか…」と伝えたところ、「元気になったら、同じように困っている人を助けてあげてください」とあたたかい言葉をかけてもらい、愛する我が子の誕生とともに、だんだんと活力を取り戻しました。

誰かの役に立つこと、誰かを助けることをしていこうと心に決めた瞬間でした。

出産後、イタリアで感じた居心地の良さをつくりたいと、新潟空港からの通り道であり年間100万人が通り過ぎてしまう新潟県関川村で、地域おこし協力隊としてまちづくりの仕事をスタートします。

まず感動したのは関川村に受け継がれる飯寿司(甘酒で作る塩引鮭を使ったおもてなし料理)の宝石のような美しさ。

新潟県の北部に伝わる発酵料理「飯寿司(いいずし)」

さらに、出勤前に1時間よもぎ狩りをしたり、1週間もかけてとちの実からとち餅を作ったりと、自ら手間をかけ丁寧に生きる人たちから自然に生かされていることを感じ、日本昔話のような世界観に魅了されます。

しかし一方で、地域資源を生かそうと実際に生産者のもとへ足を運びニーズをヒアリングしたり、外国人の集まる東京のベジタリアンレストランに行って営業したりと、役場を飛び出してフィールドワークを行う知幸さんを心地よく送り出してくれない空気もありました。

次第に現状を変えることを好まない役場の雰囲気が自分には合わないと感じるようになり、最終的には、企画したインバウンド対応のグリーンツーリズムを、自ら立ち上げた協議会の圧倒的多数に否決されるなど、中々アクションさせてもらえないと感じたことで、1年半過ごした関川村から活動の場を移すことを決めます。

伝えたい魅力的なまちと思うように伝えられない環境の狭間で過ごした関川村での暮らしを「今となっては良い思い出」と振り返ります。

目指す世界観を押しつけ自分のスピード感で突き進むのではなく、これまでそのまちをつくってきた人の声に耳を傾け、これから暮らしていく人の思いを汲み取る。

まちの人に寄り添う富谷でのコミュニティコンシェルジュの姿の影には、関川村でのエピソードがありました。

根底にあるのは「ほっとけない、なんとかしたい」想い

強い意思を持ちながらも相手を肯定し受け止めるあたたかさの根底には「ほっとけない、なんとかしなきゃ」という想いがあるそうです。

「10年先のこのまちを見てみたい」と富谷にやってきた知幸さんは、仕掛ける人、実行する人であり、TOMI+に来る様々な想いを持つ人の伴走者でもあります。

自身の夢や妄想、富谷をフィールドにした野望を話しにTOMI+に行ってみてはいかがでしょうか?

強い想いが伝われば「なんとかしたい」と力を貸してくれるはずです。

もらったあたたかさを、今度は還元する側へ。

「これまで色々な人に暮らしの豊かさを教えてもらってきたから」という知幸さんの見ている世界は、目の前の人にとどまりません。

広い世界であたたかさを循環させていく「富谷のこれから」の案内人、齋藤知幸さんに会いたい方はTOMI+へ。

知り合いになるには、情報はこちら
ホームページ【ヒナタノ食堂】
Facebookページ【TOMI+】

この記事は「風と土の交差点プロジェクト」の一環で、風の人と土の人の関わりしろを創ることを目的としています。毎日1人ずつ、富谷塾生を中心とした富谷のひとの情報を発信していきます。

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この記事を書いた人

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