(富谷市から車で15分)【奥州街道】宿場町を詠んだ石碑を発見した!

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黒川郡大和町在住、パワースポット好きライターのなおやです。

富谷市と大和町の宿場町について調べていたら、

大和町に仙台から北へ向かう宿駅名(=宿場町のこと)を詠い込んだ石碑があることをネットで知り、

なんと実物を発見!ということで、早速行ってきました。

目次

宿場町を詠んだ石碑

▲こちらが実物。奥道中歌(おくどうちゅうか)にある一節を石碑に刻んでいます。

石碑の大きさは、だいたい一畳分くらい。雪に埋もれていてあまり近づけなかったのは残念。

そして、当時に想いを馳せようと石碑に刻まれた一節を読んでみると、石碑の最初に富谷と吉岡について刻まれていました。

全文はどうなっているんだろう?

石碑に刻まれた全文は…

国分の町よりここへ七北田よ 富谷茶のんで味は吉岡

寒いとて焚かれぬものは三本木 雪の古川 荒谷冷たや

思ひきり日は高清水宿取りの 杖 築館て道急ぐとは

あれ宮野 沢辺の蛍草むらに 鳴く鈴虫の声は金成

噂する人くせ有壁に耳 口の開け閉て一の関なり

国分町から始まり、一関までの道なりを詠んでいるのがわかりました。

今では東北の歓楽街として有名な国分町。

江戸時代の国分町は、町人の町であり宿場町としても栄えていました。

そこから北へ向かうように、七北田、富谷、吉岡…と街道沿いの宿場町が詠まれています。

宿場町として栄えた富谷市と吉岡の繋がりを、この石碑からも伺えて、ちょっと浪漫を感じます。

宿場町として栄えた富谷市と吉岡を詠んだ石碑はどこに?

富谷市から、国道4号線を北へ向かい車で約15分すると、大和町に着きます。

この石碑は、地元の人でも知らないんじゃないかな?と思うような意外な場所にあります。

▲大和町にある、4号線沿い幸楽苑向かいの赤い焼肉屋さんの前にあります。
▲こんな感じで、看板と石碑があります。

いかがでしたでしょうか?石碑に詠まれた富谷と吉岡を回想しつつ、隠れスポット的な要素満載なこの場所。

昔は、奥州街道。

今は4号線沿いにある石碑。

一度探訪されてはいかがでしょうか?

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