加藤大輔(かとうだいすけ)さん
移住者なのに、昔からずっと住んでいそうな貫禄を持つ大輔さん。
実は富谷生まれではなかったんです。
なぜ、勘違いしてしまうほど富谷市民の貫禄がついたか深掘りしたいと思います。
不景気で就職難の時代、就職先は仏具店
高校卒業当時、平成不況の真っ只中就職先がなかなか見つからず、色々なところでアルバイトを転々としてた大輔さん。
ある日、ハローワークで栗原にある仏壇店を紹介され簡単な面接をしその後無事「仏具店の営業」と言うことで内定しました。
入社初日、会社の先輩と荷物を運ぶようにと言われついて行った先で発した第一声は今でも覚えているとのこと。
大輔さん「先輩!人死んでますよ!!顔に白い布被ってますよ!」
先輩「そりゃそうだろ葬儀屋なんだから!!」
故人のお宅でこっぴどく怒られたそうです。
そうなんです、実は葬儀屋がメインで仏具の営業はおまけだったと後で知ることになります。
しかし、就職難の時代、他に行くところもなかったので働いていたそうですが、今までしてきた仕事の中で「ありがとう」と言われたのが初めてだったと話してくれました。
富谷へ移住のきっかけ
そんなこんなで、栗原で数年葬儀屋で働いていたところ突然転機がやってきたのです。
現在の富谷市にある葬祭会館【花そう】さんの社長にお茶を飲みにおいでと言われ、行った大輔さん。
その時に「いつこっちさ来るのや?部屋は用意してあるからいつでもこいよ」と言われ、迷うことなく富谷へ移動することになりました。
そして家庭を築いた数年後、突然社長から「お前に部屋を貸すより、他の人に貸した方がいいから出てくれ」と言われ、反論の余地なく出ていかないといけない状況になりました。
すかさずお嫁さんのお義父さんが「空いてる部屋はいっぱいあるからこっちに住めばいっちゃ」と同居を提案され同居に至ったそうです。
富谷の人は威圧と優しさの紙一重
急に富谷の中心に住み始めた大輔さん。
色んな出会いがあったようです。
中でも小松自動車の社長さんの出会いはとても大きいとのことで、小松さんの無茶ぶりは酷かったとユーモアをこめて話してくれた大輔さん。
ある日、義母様のプレゼントを買いにいってる最中に突然電話がきて、「今、「橘」にいるからこいよー!」とだけ言われ、渋々行きベロンベロン状態の人たちのお話をきいてたそうです。
はたまた別な日は、子供が悪戯をするときのような満面の笑みで獄激辛のペヤングを「これ買ってきたから食べてみてよー!」と持ってきて激辛で悶えてる姿をニヤニヤ楽しんだり。
ちなみに30分は呼吸するのがしんどいかったそうです。
しかし富谷で忘れられない幸せは?と聞いたところ「小松自動車の社長と知り合えたこと」と教えてくれた大輔さん。
もはや相思相愛でしかないですよね。
小松自動車の社長のおかげで新町の方やたくさんの人とお知り合いになれたと遠い目で話す大輔さん。
大輔さんに「しんまちの人たちはどんな方達ですか?」と聞いたところ、重めの頼み事でも軽く言ってくることが多いそうです。
頼まれたことは快諾しますが、実はすごい真面目な内容のことだったりが多く、ある時ハチヤミートさんから、「しんまち活性化協議会を立ち上げる話を副会長に言っといたから」と言われ、「よくわからないけどわかった」と言ったら、後日、突然役場の人が職場にきて、「この度は副会長引き受けていただいて…」と挨拶にきたりしてそんなに仰々しいの?!そんな感じで受けてないんだけど?!とびっくりしたそうです。
そんなこともあって「面白いから、とりあえずおいでよ」という誘いは危険と教えてくれました。
もし100万円があったら?そんな質問をしたら、大輔さんは地域活性の活動をしている方に寄付をしたいと即答。
何か富谷市に伝えたいことがありますか?と聞いたところ、「しんまちどおりは暗い、狭い、危ないのでせめて街灯や避難地が欲しい」と教えてくれました。
確かに普段TOMI+を利用してる私でも夕方になると閑散としていて寂しいし、車通りも増えスピードを出す方もいるので心配ですね。
そんな大輔さんは多趣味のようで、スノーボード、ゴルフ(打ちっぱなし専門)、ダーツ、ロードバイクとアクティブな方です。
普段は【花そう】さんに常駐してるのでなかなかお会いできる機会が少ないと思いますが、もしあったらぜひ声をかけてみてください。
ぱっと見、眼は笑ってませんが心は常に笑ってるので安心してください。
余談ですが、「ご懐妊の時、ご主人は喜んでいましたか?」と役所の方が奥様に質問したところ「あまり喜んでいるようにみえませんでした」と回答。
役所の方が心配になり大輔さんは役所の方と面談をすることになった事もあったとか。
もちろん喜んでいたのですがね、と。そのくらいポーカーフェイスな大輔さんでした。
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ホームページ 【葬祭会館 花そう】
この記事は「風と土の交差点プロジェクト」の一環で、風の人と土の人の関わりしろを創ることを目的としています。毎日1人ずつ、富谷塾生を中心とした富谷のひとの情報を発信していきます。