石沢憲哉(いしざわかずや)さん

「パルクールを、子どもから大人まで巻き込んだ”第三の教育の現場”にしたい」と話す石沢さん。
作業療法士とパルクールの国際指導資格をあわせもち、仙台に国内唯一のパルクール専門の会社「合同会社SENDAI×TRAIN」を設立しました。
石沢さんはSEIYU富谷店の2階にある屋内パルクール練習施設「JUMP&LEAP」のコーチも務めています。
この取材も練習施設「JUMP&LEAP」でさせていただき、実際に子どもたちがどう過ごしているかも見学させていただきました。
憧れていたスパイ映画の主人公
子どもの頃から映画に出てくる強い主人公に憧れていたと話す石沢さん。
将来を考えた時、生活していくことに困らない資格をとろうと思い、作業療法士を目指しました。
作業療法士は日常生活を送る上で必要不可欠な動きのリハビリを行います。
専門学校に通いながら1日14時間~16時間もの勉強をして資格を取得し、晴れて作業療法士として病院で働くようになりました。

しかし、毎日家から職場への往復だけの生活に、つまらなさを感じた石沢さんは何か新しいことをやりたいと探すようになります。
そんな時、スパイ映画の主人公さながらのアクロバットな動きで壁や塀を飛び移るパルクールの動画を見て「自分もやりたい!」と思いました。
検索すると、ちょうど当時の職場だった岩手県盛岡市に社会人パルクール「侍族サムライトライブ」の活動があることを知り、石沢さんも加入します。
大けがをきっかけに考え方が180度変わる
加入したサムライトライブではパルクールをパフォーマンスではなく、パルクール発祥の地フランスで言われる「ADD(移動の芸術)」、つまり心身を鍛えるトレーニングとして捉えていました。
石沢さんもその考え方に共感していましたが、アクロバット技ができるようになりたいという気持ちが、当時はまだあったと言います。
転機が訪れたのは加入して2年がたったある日のこと。
段差からの宙返りを試みた際、左膝前十字靭帯断裂などの大けがを負い、盛岡の病院では足が使えない状態での仕事は続けられず、退職することになってしまいました。
退職後、専門学校時代の先生に相談し、富谷のリハビリ病院を紹介されます。
そこで作業療法士として働く傍ら、自分のケガのリハビリもしていたそうです。
富谷の病院で「ケガをしている脚を使わずにどうやって段差を上がるか?」「どうやって台にのぼるか?」を患者さんと一緒に考えながらリハビリをした石沢さん。
その時、作業療法士とパルクールの共通点に気がつきました。
作業療法士の”障害を抱える現状でどう生活していくかを考えてリハビリをする”ことは、パルクールの”自分の限界を知り目標のためにどう克服するか”に共通していたのです。
また、サムライトライブの仲間から教わったパルクールのメンタリティ「ADD(動きの芸術)」に立ち返ります。
“Be Strong to be Usuful=強く機能的で在れ”
”Never give up=諦めない”
”We start together we finish together=皆で始めて、皆で終わる”
これにより「怪我をのりこえて、またパルクールを始めることが俺のパルクールのスタートだ」という考えにいきついたのです。

作業療法士としてではなくパルクールを武器に教育現場へ
石沢さんは病院に勤める傍ら発達障害や自閉症のある子どもたちのために、支援学校の先生へ、作業療法士としての立場からの指導もしていました。
その際、子どもたちの将来の就職先が作業所と決められた前提で、その訓練をするという流れに疑問を持ちます。
「子どもたち自身が何をしたいのか?」それを引き出すのが大人の役割だと考えていた石沢さんは施設や病院と衝突してしまい、作業療法士のままでは心身を鍛える教育はできないと思いました。
そこで、もう一つの武器であるパルクールを使って教育現場に参入したいと考えるようになります。
子どもたちの人間的な成長を動作的思考で促す新しい教育方法に可能性を見出だしたのです。

富谷からオリンピック選手や有能なビジネスマンが誕生しますよ
石沢さんはパルクール国際指導者資格の研修で、パルクールを授業の一環で取り入れているイギリスを訪れました。
そこでは答えのない問答を繰り返しながら、台にあがったり降りたり飛んだりと、まさに”自由”。
その授業スタイルに衝撃を受けたそうです。
パルクールを教育に取り入れることで「自分が何をしたいのか」悩み、考え、試すを繰り返します。
その習慣が変化の時代に対応できる力を備えると考えます。
「何をやってもいい、ただし自己責任」という肯定した厳しさは、これからの社会を生きるために必要なのかもしれません。
教育現場に関わりたいと考るようになった石沢さんは、当時の富谷町長に手紙を出します。
その後町長から連絡がきて、話を聞いてもらえることに。
パルクールと教育に対する熱意を直接訴えたところ、町長がその思いを汲み取ります。
町長の声掛けにより保育園や児童クラブでの運動支援と富谷市内施設でのイベントでパルクールを指導できるようになります。
しかし、単発ではパルクールの精神面が伝わりません。
そこで定期的に子どもたちと接することができる練習施設を富谷に創りました。

練習では「次はこれして、あれして」のような指導ありきの習い事ではなく「他者への尊重や言葉遣い、考え方、行動」の全てをパルクールで伝えているとのこと。
今後はもっと教育現場に関わり、パルクールが第三の教育になることが目標です。
パルクールが公園であたりまえになり、やがて子どもから大人まで巻き込んでいく。
パルクールの本髄であるメンタリティが鍛えられることで、運動や勉強、芸術でも、その力を発揮できる人たちが富谷から沢山でてくると信じています。

子どもと熱く向き合う
石沢さんの教育に対する熱意は”ド正論”をついています。情報量が多すぎる世の中で、自分の考えというものを持っているのか?と考えさせられるばかりでした。
子を持つ親としては、背筋を正されます。
ご自身は「厳しいから敬遠される」と言われますが、自分でやると決めて努力する人に、とても真摯に向き合っています。
実際、練習施設に来る子どもたちは石沢さんを尊敬し、慕っていました。
気になる方は練習施設での体験や野外イベントに参加してみてはいかがでしょうか?
ただし「なんとなく良さそうだから」ではなく、自分の意志で決めましょうね。
知り合いになるには、情報はこちら
ホームページ 【パルクール屋内練習施設「JUMP&LEAP」】 ・ 【合同会社SENDAI×TRAIN】
ブログサイト 【かずやのブログ】
YouTube動画 【かずや仙台でプロのパルクールの人】
この記事は「風と土の交差点プロジェクト」の一環で、風の人と土の人の関わりしろを創ることを目的としています。毎日1人ずつ、富谷塾生を中心とした富谷のひとの情報を発信していきます。